2026/08/25 13:51

―シャノン・ツイン・スピナーから安全ピン型、そして現代のスピナーベイトへ。

スピナーベイトの起源を調べていくと、一人の発明家がある日突然現在の形を作り上げたという単純な物語にはたどり着かない。ここが、スピナーベイトというルアーの面白いところだ。
ブレードを回転させるルアーがあり、魚にそれを食わせるための工夫があり、ウィードレスにするための構造があり、そこへジグやワイヤーが組み合わされていく。

そして長い時間をかけて、現在のスピナーベイトへ近づいていった。

その歴史をたどる最初の大きな手掛かりが、20世紀初頭のアメリカに登場したShannon Twin Spinnerである。

シャノン・ツイン・スピナー
現在のスピナーベイトの歴史を語るとき、Jesse Shannonの名前は外せない。
Shannon Twin Spinnerは、一般には1915年前後に考案されたとされている。1916年に特許が申請され、1919年に特許が認められたというのが、これまで広く紹介されてきた経緯だ。

ただし、この年代については少し慎重に見ておきたい。
後年の資料では1915年という年が繰り返し紹介されている一方、1917年のアメリカの釣り雑誌には、W. J. Jamison社によるShannon Twin Spinnerの広告が残っている。
少なくとも1917年には、このルアーが実際の商品として市場に存在していたことは確認できる。
広告で強調されていたのは、そのウィードレス性だった。ブレードを回転させながら、濃い水草の中でも使える。そして魚がブレードを襲った場合にも、フックへ掛かりやすい。
ここには、後のスピナーベイトにも通じる重要な考え方がすでに見えている。

ただし、Shannon Twin Spinnerをそのまま現在のスピナーベイトの原型と考えるのは少し違う。

現在のスピナーベイトに特徴的な、一本のワイヤーを折り曲げた安全ピン型のアーム。その上にブレードを配置し、下側にウェイトとフックを置く構造とは、まだ形が異なっている。
それでも、ブレード、ワイヤー、ウェイト、フック、スカート、そしてウィードレス性をひとつのルアーにまとめるという発想は、後のスピナーベイトへとつながっていく。


Shannon Twin Spinner

スピナーベイトは「魚のイメージ」から生まれたわけではない
ここが、スピナーベイトというルアーの面白いところだ。
ミノーやクランクベイトなら、魚や小魚の姿を模倣するという発想がある。
ところがスピナーベイトは、魚の形をしていない。金属のブレードが光を反射する。水を受けて回転する。その回転が水を動かし、振動を生む。ワイヤーはブレードを支えながら、障害物をかわす。そして下側にあるウェイトとフックを魚の口へ送り込む。
つまりスピナーベイトは、魚の姿を真似するのではなく、魚が感じる「光」「振動」「動き」を組み合わせて作られたルアーだった。

Shannon Twin Spinnerには、その考え方の原型がすでにあった。
しかし、そこから現在の形へたどり着くには、まだ時間が必要だった。

戦後のアメリカとコットン・コーデル
そして第二次世界大戦が終わったアメリカで、ひとりのルアービルダーが頭角を現す。
Cotton Cordellである。
コーデルは戦後、自分でジグを作るようになった。

Bass Fishing Hall of Fameの資料によれば、彼は軍用のサバイバルキットを購入し、その中に入っていたバックテールジグに興味を持ったことが、ジグ作りのきっかけのひとつになったとされている。
そこから、彼は自分なりのジグを作り始める。
そして、そのジグに大きな安全ピン状の金属部品とスピナーを組み合わせた。

後にOuachita Spinnerと呼ばれるルアーである。

ここで、現在のスピナーベイトへつながる重要な発想が見えてくる。
安全ピンのようにワイヤーを折り曲げる。
その一方にブレードを取り付ける。
反対側にはウェイトとフックを置く。
こうすることで、ブレードをフックから離して配置できる。
そしてワイヤーそのものが、障害物をかわすための役割も果たす。

現在のスピナーベイトを見慣れた目からすると、ごく当たり前に見える構造だ。
しかし、その「当たり前」が、長い試行錯誤の中から生まれてきた。


COTTON CORDELL  Ouachita Spinner

「安全ピン型」の発明者は誰なのか?
ここで、ひとつの疑問が出てくる。
では、安全ピン型スピナーベイトを最初に作ったのは誰なのか。
実は、ここは簡単には決められない。
1950年代初頭には、すでに安全ピン型のスピナーベイトが存在していたという資料がある。
一方で、コットン・コーデルが安全ピンを利用してスピナーベイトを発展させたという話も残っている。

SMITHのカタログにも、第二次世界大戦後に余っていた救急用品の安全ピンを利用してコーデルがスピナーベイトを発展させたという趣旨の説明が記されている。
ただし、ここには注意が必要だ。
それはコットン・コーデル自身のカタログや、本人が残した一次資料で確認した話ではない。

だから、「コットン・コーデルが世界で初めて安全ピン型スピナーベイトを発明した」
と断定するのは早計だ。
むしろ、

「第二次大戦後のアメリカで、安全ピンという身近な金属部品を利用した構造がスピナーベイトに取り入れられ、コットン・コーデルもその発展に大きく関わった」

そう考えるほうが、現在確認できる資料には忠実である。

1950年代にはもう一つの流れもあった
さらに歴史を調べていくと、1951年ごろには安全ピン型に近い構造を持つルアーが存在していたことを示す資料も見つかる。
つまり、安全ピン型の誕生をコットン・コーデルひとりの発明として片付けることはできない。

1951年にはLloyd JohnsonとHenry Denisonがセントルイスで安全ピン型のスピナーベイトを商品化したという二次資料もある。

しかし、その商品の当時の広告や実物を、現時点では十分に確認できていない。
1951年前後の特許にも、スピナー、ワイヤー、ウェイトなどを組み合わせた興味深いルアーが登場する。
こうして見ていくと、1950年代はスピナーベイトにとって、さまざまな構造が試されていた時代だったことが分かる。
だからこそ、「このルアーが世界初のスピナーベイトだった」と一点に決めるよりも、いくつものアイデアが同じ時代に重なりながら、現在の形へ近づいていったと考える方が自然なのだ

一人の発明家ではなく、積み重ねだった
Shannon Twin Spinnerは、ブレードとワイヤー、ウェイト、フックを組み合わせ、ウィードレス性を追求した。

その後、さまざまなスピナーやスピナーベイトが作られた。

戦後にはコットン・コーデルのようなルアービルダーが、ジグとブレード、そして安全ピン状のワイヤーを組み合わせていった。
そして1950年代、1960年代へと進む中で、安全ピン型の構造はさらに洗練されていく。
そう考えると、現在のスピナーベイトは、ある日突然完成したものではない。
古いルアーのアイデアを誰かが受け取り、そこへ別の人間が新しい工夫を加える。その工夫がまた次の人間へ渡っていく。
そんな長い積み重ねの先に、現在のスピナーベイトがある。
100年以上前のアメリカで、水の中で回る小さな金属片から始まった発想は、やがてバスフィッシングを代表するルアーのひとつへと成長していった。

スピナーベイトの歴史を面白くしているのは、誰が最初だったのかという答えだけではない。
誰かが作ったものを、次の誰かがもっと釣れるものへ変えていった。
その繰り返しこそが、スピナーベイトというルアーを作った歴史なのだ。

「既に完成されたように見えるスピナーベイトを、もう一度、自分たちの釣りに合わせて考えてみる」

ハンドメイドスピナーベイト、Diddley-Bowの原点です。